2000年前の医学の痕跡、フォロ・ロマーノ

古代、フォロ・ロマーノには多くの神殿が建てられていました。その中に、フェブリス(Febris)と言う女神が祀られていた神殿がありました。彼女は人々を発熱とマラリアから保護した女神です。彼女のお祭りは Februarius (2月)の13〜15日に行なわれましたが、一番大切な日は14日でした。キリスト教が広がった時、この日はSanta Febronia (聖女フェブロ二ア)の日になりましたが、その後、今誰でも知っている聖バレンタインの日となりました。彼は愛情の熱から私たちを保護してくれる聖人です。このフェブリスの神殿があったのは、今のSanta Francesca 教会がある辺りだったそうです。この教会の中に1440年3月9日からFrancesca Bussi de’ Leoniと言う貴族の女性が埋葬されています。
彼女は2人の息子を、15世紀の初めにローマで流行したベストで失いました。そのために彼女自身が病気になった人々の救助を始めたのです。それでフランチェスカは疫病の保護聖人になりました。今年、世界的に流行した新型コロナウイルスの影響で、3月8日から教会などすべての公共施設が閉鎖となったので、3月9日にこのサンタフランチェスカ教会では人々への希望の鐘が鳴らされました。

 

さて、ここにあった神殿によく行った人物の中に、ペルガモン出身のGaleno (ガレノス)というとても有名な医師がいました。彼は西暦129年に生まれ、ローマに来るとすぐに人気者になって皇帝等のプライベートな医者として使えました。彼は人々の前で手術をしたり、多くの人が集まる会議を開いたりもしました。 又、解剖学や生理学、診断、治療などをテーマに、論文を書いたりもしました。その彼の診療所は、今の Horrea Piperataria (香辛料の倉庫)の辺りにあったそうです。その倉庫の遺跡は、近年マクセンティウスのバジリカの遺跡の下から発見されました。残念ながら、192年の火事で倉庫とガレノスの診療所は焼けてしまいました。

 

フォロ・ロマーノに面している教会の中には、Santi Cosma e Damiano教会もあります。 コズマとダミアーノと言う兄弟は、260年にエジェアという小さな都市に生まれました。彼らも医者でしたが、診療の報酬を受け取らなかったので「Anargyroi」(お金がない聖人)と呼ばれていました。当時キリスト教は禁止されていたためにディオクレティアヌス帝によって殉教しますが、彼らの神聖さのゆえに、殺し屋がいくら鞭で打っても、石を投げつけても死ななかったので、最後には首を切られて殉教しました。Santi Cosma e Damiano教会は このあたりで一番古い教会で、526年に古代遺跡の中に建設されました。

 

ここにあるSan Lorenzo in Miranda教会も元は2世紀のアントニヌス帝とその妻ファウスティーナに捧げられた神殿の中が教会として使われています。1492年以来、薬剤師の会衆になりました。 1602年にバロック様式で再建され、ドメニキーノとコルトーナといった芸術家達の絵画も保管されています。

その他、フォロ・ロマーノには、ユトゥルナの泉もあります。ニンフのユトゥルナの美しさは有名でした。彼女を愛していたジュピターは彼女に永遠の命とラティウムの全ての泉を支配する力を与えました。この泉から流れ出た水は病気を治してくれると信じられており、泉の周りには人々が水を飲みに来る部屋があったという記録が残されています。その水に感謝の気持ちを表すために泉にコインを投げる習慣もあったそうです。

というわけで、古代のフォロ・ロマーノの遺跡から、当時の医学の足跡を見ることが出来るというお話でした。面白いわね。でも病気にはなりたくないから気をつけましょう。それでは、チャオチャオ❤️

著者:  フランチェスカ

Romanissimo

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